壊れていく老人たち
前記事で書いた100歳のお爺さんのお話。
確かに過保護すぎるんだけど家族の対応とかを見てると心が暖まる感じになります。
この100歳のお爺さんは個室なんだけど大部屋にもそんな光景が見受けられます。
但しこちらは一つベットを隔てて大きな違いを見せ付けられる、なんとも考えさせられる光景なんですけどね。
病院に来る患者さんの大半が老人である。
特に今の勤め先は開院30年という歴史の中で開院当初からの患者さんが多いから年齢層的に言うと70歳以上がかなり多く90歳オーバーも結構います。
来院する高齢の患者さんに「80年も使ってきたらたまには油を注さないとね~」と話をしながら自分の身体を心配する高齢の患者さんに安心を与えてみたりする。
そんな高齢の患者さんにも色々いて、老人らしい老人、と書くとどんな老人なんだ?って話になるが歳相応の衰えを迎えている老人のことを指し、その他には身体はかなり衰えてるのに気だけが若い老人、自分は元気だと主張したい。でも衰えは隠せない。転倒して運び込まれてくる患者さんにさも多いタイプ(^^;;
ま~大事が無ければそれで良いと思う。ただ見ててヒヤヒヤするんだけどね(^^;;
そんな感じで大半は元気が良い。
しかし何度も繰り返す原因不明の発熱や腹痛、そして入退院を繰り返す。
そんな患者さんでも大半が入院すると2~3日で回復する。
薬や治療より退院後の環境がそんな繰り返しを多発させています。
子が親の面倒を見なくなった。つくづくそう思う。
以前にも少し触れたことがあるんだけど自分の親を入院させるときは家族総出で病院に押しかけてくる。そして親の様態を無茶苦茶心配する。
そして入院。
面会に来るのは初めだけで、その後は全く顔を出さない。
退院が決まっても一向に迎えに来ない。
再三の電話連絡でしぶしぶやってきて親を連れて帰る。
そんなのを見てると、あの家族総出の様態の心配は何処にいったんだ?(ーー;)
って不審に思う。家での状態が心配になってくる。
案の定、1週間もしないうちに救急車で運び込まれてくる。
外来に直接診察に連れてくるより無条件で再入院できるから。
状態はだいたいが発熱、肺炎。
ただ風邪を引いて肺炎じゃなくて誤飲による肺炎。
そんな高齢者は身体が衰えると嚥下(えんげ)作用が鈍くなる。
物を旨く飲み込めない、そして食べ物が肺に入り炎症、そして発熱。
入院、そしてまた2~3日で回復する。そして繰り返し。
ただ、この繰り返しはいつまでも続かない。
再入院の繰り返しは何度も出来るが回復能力の繰り返しには限界がある。
そしてベットでの寝たきり。
放置される家よりは病院の方がナースや助手の出入りがあるから少しは気も紛れるだろうけど四六時中付きっ切りには無理がある。
毎日、天井を見て過ごす毎日、やがてせん妄状態に陥り、昼夜問わず大きな声で騒ぎ立てるようになる。対応を誤ると老人性認知症が酷くなるのもこの時期。
寝ないと一段と体力がなくなるしので落ち着けるために睡眠導入薬や精神安定剤が投与される。
昼間は薬のおかげで眠り続ける。夜と昼が逆転する。
シーンと静まり返った夜の病棟、患者が目を覚ます。暗闇の中で闇夜の天井だけを眺める毎日、考えただけでも気が変になるのが想像がつく。
体力が弱り、食物も受け付けなくなり。。。。。
病院に家族が押し寄せる。
みんな真剣な面持ち、涙を流してる。寝台車が運び込まれ永遠の眠りへと旅立つ。
そんな光景を幾度となく見てきて、家族に問いたい。
なんでもっと親を見ないのか?って。
仕事が忙しいから、自分にも家庭があるから、そう言う?
そんなの関係ない。理由にならない。
あなたをこの世に産んでくれた親じゃないの?
家で介護が無理なら、せめて入院してる間ぐらい仕事帰りに数分で良い、面会にこないのか?って。放置はだめだろう。。。。
老いによる疾患はどんなに医学が高度に進化しても、家族の温かみほど優れた治療は無いと思う。
最近、ほんとそう言うのが多すぎる。この数ヶ月で何人逝ってしまったか。
水頭症からくる認知症のTさん、(女性)幾度となく入退院を繰り返している。
家では独り暮らし、少し前あたりからしんどいと時間外で救急搬送される事が増えてきている。
その頻度も最近では1週間に一度ペース、来るたびに認知症が悪化してる気がする。
入院しても子供たちはたまにしか顔を出さない。
認知症の女性老人の多くは症状が進展するほど不思議と息子に対して異常に依存する。
Tさんの呆けも酷くなるにつれ「息子が心配だ」「息子には迷惑かけたくない」など異常なほど息子の心配をする。Tさんには娘もいる。でも娘に関しては一言も言わない。酷いときには「娘は別にいい、あの子は薄情や」と口にする。
同じ子供なのに。。。。。
この年代の老人は大正、昭和と生き抜いてきて、苦労し続けて、将来家庭の大黒柱になる息子に対して悲願しながら育ててきたからかもしれない。
病が進行しても、自分が今何処にいるのか解らなくなってもそれだけ息子のことを心配してる。これだけずっと自分が子供たちから放置されてるにも関わらず。
冒頭にも書いたけど、ほんとね、大部屋なんてベット隔てて天と地の差があるんです。
片方は寂しく放置状態、片方は毎日家族が来て笑い声が絶えない。
同じ人間なのに、この世にたった独りで生まれてきたわけじゃないはず。
子供を育て笑い声もあった時期もあるはず。
そんな寂しく壊れていく老人たちを見てると家族ってなんだろうって思う。
ちょっと神妙なお話になってしまいました。
たまにはね、そんな思いが鬱憤となって自分の中に溜まっていく前に書き留めておこうと思いました。
僕が愚痴ってもしかたない事なんだけどね(苦笑)
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
コメント 8